LJIの歩み


社会主義体制下にあるラオスでは、1986年に経済開放政策を打ち出し、新経済メカニズムの導入が採択されました。 以来、市場経済化が進められ、国家経済の基盤となる近代産業技術、市場経済化に対応する経営を実践し、ASEAN市場でも活躍することのできる人材の育成が急務となりました。 

2000年1月、日本の総理大臣としては33年ぶりにラオスを公式訪問した小渕首相は、市場経済化移行期にあるラオスを支援するために、人材育成と日ラオ両国の人的交流、相互理解の拠点となる「ラオス − 日本人材開発センター(日本センター)」設立構想を提唱しました。 

第1フェーズ(2000年9月〜2006年8月): 
第1フェーズでは、ビジネス研修プログラム、日本語研修プログラム、文化交流活動、図書館サービスが、限定的な規模で実施されました。 このフェーズの特徴は、ビジネス研修プログラムの発展・衰退の相反する傾向がどちらも見られた点です。 

1990年代初頭から、ラオスでは市場経済への急速な転換が開始されましたが、公共セクターの経営者や職員は、十分なビジネス知識を持っておらず、試行錯誤を繰り返しながら、手探りの状態で経営をしているという状況でした。そのため、現代的なビジネス研修プログラムには多くの関心が集まりました。 しかし、数年にわたるプログラム実施後、参加者は次第に減少し始めました。ラオスの人々の需要を知り、それを踏まえてプログラムの内容を調整する必要が出てきました。 

第2フェーズ(2006年9月〜2010年8月): 
第2フェーズでは、ラオス人の要望に応える形で、LJIの事業の幅が大きく広がりました。 2007年から、ビジネス研修の一環として、企業へ直接出向いて指導を行うコンサルティングサービスが開始されたほか、日本への留学を斡旋する「日本留学フェア」がこの年から開催されるようになりました。また、翌年からは、ラオス人若手技術者を支援する「Honda Y-E-S Award奨学金制度」が導入されたのに加え、経営学修士が取得できる「MBAプログラム」が開講されました。 

このような事業の拡大が評価され、Lao-Japan Human Resource Cooperation Center(LJC)からLaos- Japan Human Resource Development(LJI)へと格上げされ、名称変更されました。 

第3フェーズ(2010年9月~2014年8月): 
このフェーズでは、第2フェーズの延長として、これまで行ってきた活動の実施・改善に加え、ラオスにおける日系企業の投資をサポートするためのリサーチが開始されました。 また、この間、国際交流基金(JF)がJFランゲージセンターをLJI内に設置し、以来、日本語コースの活動がより強化されました。

この時期より、LJIにて日本語能力試験が実施されるようになりました。 

第4フェーズ(2014年9月~2019年8月): 
第4フェーズでは、日系企業の投資誘致として、ジョブフェア、ビジネスセミナー、ビジネスマッチング、キャパシティ・ビルディング支援等が実施されました。 また、事業の実施場所をビエンチャンから拡大し、サバナケートなど、他県でもイベントやセミナーの実施を始めました。 

さらに、ラオスにおけるビジネス・投資環境のシンクタンクとして機能することを目指し、研究活動がこれまで以上に盛んに行われるようになりました。 参加者が実践的な知識と経験をより効果的に獲得できるよう、ケーススタディを組み込んだ学習を重点的に提供しました。

このように、長期にわたる活動の拡充を通じて、LJIはラオスと日本の友好と協力の象徴となっています。

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